無題 第六章:捜査線上の名前

無題

 警視庁捜査一課・佐々木刑事は、ここ数ヶ月の行方不明事件に、不可解な既視感を抱いていた。

 大学生の理沙。OLの真帆。フリーターの奈々。
 いずれも20代後半の女性。身辺に大きなトラブルはなく、最後の足取りは曖昧。
 恋人や元交際相手の線も洗ったが、どれも明確な繋がりには至らなかった。

 だが、佐々木の脳裏に引っかかったのは、“感情の消えた空白”だった。

——どの女性の部屋にも、「悲鳴の痕跡」がなかったのだ。

 通常、女性が事件に巻き込まれた場合、抵抗や混乱の跡が残る。
 しかし、彼女たちの生活空間には、“静かすぎる”沈黙があった。
 まるで、死が“静かに受け入れられた”かのように。

 そんな折、一人の女性が警察に現れた。
 名を——藤沢恵美という。

 「話したいことがあります。神崎遼という人物について」

 彼女の証言は、捜査に風を吹き込んだ。
 理沙、真帆、奈々——三人の被害者の共通点はなかった。
 だが、遼がそれぞれと面識を持っていた可能性が出てきたことで、地図は繋がり始めた。

 佐々木は、恵美の冷静な語り口に、逆に不安を覚えた。

 「なぜ、あなたがここまで神崎遼のことを追っているのですか?」

 恵美はしばし考えた末に言った。

 「……私は、彼の“最後の女”なんだと思います」

 捜査が進むにつれ、神崎遼という人物像が浮かび上がってきた。
 高学歴。成績優秀。社会人としても目立った問題はない。
 同僚の証言も「真面目な人」「物静か」という一様なものばかりだった。

 だが、その“均質性”こそが、佐々木には不気味だった。

——仮面をかぶり続けて生きてきた人間の、外側だけが記録に残っている。

 捜査班は遼の自宅を張り込み、外出のタイミングで接触。
 遼は逃げなかった。

 ただ、逮捕直前の彼の瞳は、どこか“終わりを見届けに来た者”のようだった。

 取り調べにて、遼は多くを語った。

 事件の経緯、動機、自身の感情。
 まるで、記録に残してもらいたかったかのように淡々と。

 「……僕は、自分を愛していたんです。
  他人を通して、自分を愛そうとしていた。
  でも、それって、ただの独りよがりですよね」

 刑事たちは誰も、その告白に返す言葉を持たなかった。
 遼の犯行は計画的であり、冷静であり、何より——感情がない。

 一方、恵美は何度も警察に足を運んだ。
 証言、協力、メディアの対処。

 だが、どれだけ遼の“罪”を客観化しても、
 彼の内側にあった“欠け”の正体が、どうしても引っかかっていた。

——彼は、本当に“狂っていた”のか?

——それとも、“自分のことを一番理解してしまった”だけなのか?

 ある夜、恵美はひとり、公園のベンチに座っていた。
 かつて、高校の帰り道に遼とすれ違った小道。
 あのとき、少しでも声をかけていたら、彼の人生は違っていたのだろうか。

 その考えがよぎった瞬間、恵美は静かに首を振った。

 「それは、きっと傲慢ってものよ」

 彼の罪は、彼自身のものであり、彼の旅は、彼自身のものである。
 恵美はその“重さ”を見誤ってはならない。

 だが、遼は——まだ終わっていなかった。

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