彼女は、あらゆる「声」を記録していた。
過去の記憶。
失われた思想。
壊された正義。
綻びた希望。
それらすべてを“観測”し、ただ静かに“記録”する存在。
——アルミナ・シェルド。
世界のあらゆる“価値観”を知る者。
そして、価値を持たぬ者。
◆ 第一節:観測者の記録
《シン・アーカイブ》の最上層。
誰も立ち入ることを許されない“記録層(メモリア・コア)”に、その女はいた。
漆黒の衣をまとい、白金の書物を静かにめくる。
その目は、まるで“映写機”のように光をたたえ、あらゆる記録を反射していた。
「……また一つ、記録が揺れた」
アルミナはそう呟いた。
「カイ・オルステッド。声の欠片《フォノスフレイク》。
第13塔と繋がる器。観測対象、優先順位を“第二位”に変更」
「……第一位は、変わらず“彼”か」
彼女の目が、遠くの空を見つめた。
“何か”が動き始めている。
◆ 第二節:一人の少年を記録する
「……ん? あの人……」
その日、カイは市場でパンを買っていた。
昨日の激闘の疲れが体に残る中、腹が減っては戦もできぬ、というやつだ。
不意に、視線を感じた。
背筋がピンと伸びる。どこか鋭利な視線。
「……見てるな」
カイが振り向くと、そこに立っていたのは、一人の女。
黒衣のフード。手に分厚い本。
どこか“生きていない”ような、空虚な佇まい。
「……君が、カイ・オルステッド」
「誰だ、お前?」
「ただの記録者よ。名前は、アルミナ・シェルド。君を“記録”しに来た」
「記録……?」
彼女は微笑むでも、怒るでもなく、ただ機械のように淡々と告げた。
「君は、“観測された者”なの。
第13塔を巡る価値の変遷。その中心にある声を、私は見届ける必要がある」
「お前、セレスティアの……?」
「“いた”と言った方が正しいわ。
私はもう、どの価値観にも属していない。
ただ、“声を記録する装置”——それが、私の本質だから」
◆ 第三節:記録と感情
市場の裏手、静かな路地。
アルミナはそこでカイに、一本の短剣型レリックを差し出した。
「これは、君の兄——ジン・オルステッドが最後に使ったレリック。
正式名称は《メモリエッジ》。
使用者の“感情”を切り取り、封印する装置よ」
「兄貴の……?」
「ええ。私が彼を“記録”した日、このレリックに彼の最後の“想い”が残された。
それを君に返す。私は“中立”だから」
カイは短剣を握る。
次の瞬間、意識の底に——兄の声が流れ込んだ。
「……カイ。もしこれをお前が手にしてるなら、俺はもう——」
「セレスティアは、ただ価値を統一しようとしてるわけじゃない。
彼らは“記録を再定義”しようとしてる。過去の記憶すら、改ざんして……」
「“塔”が全部開いたら、世界は“ひとつの記憶”に書き換えられる。
そのとき、人はもう“自分”じゃなくなるんだ……」
声が、途切れる。
カイは膝をついた。
「くそっ……! 兄貴は、そんなところまで見てたのか……!」
アルミナは、それでも表情一つ変えずに言った。
「ジンは記録の外に出ようとした。
けれど、私たちは“記録”を守る。
それが、存在意義だから」
「お前に、感情はねえのかよ!」
そう叫んだカイに、アルミナは少しだけ目を細めて言った。
「……そうね。今は、少しだけあるわ。
君の声が、私の中で“ノイズ”を起こしてる。
それが何なのか、まだ分からないけれど……」
そして、背を向けた。
「また会うわ、カイ。
君が“記録の外”に踏み出すその瞬間を、私は見届けたい」
◆ 終章:揺らぎ始めた記録
その夜。
カイは《メモリエッジ》を手に、兄の声を何度も再生していた。
「書き換えられる世界……
統一って、そういうことなのかよ」
リューカが静かに寄り添った。
「価値を揃えるだけじゃない。
“過去”すら揃える。セレスティアの本当の狙いは、“記憶の統一”……」
「俺は……それでも、“俺の声”を届ける。
兄貴が言ってた通り、自分で選ぶ。何度でも、迷っても——」
《声の欠片》が、かすかに震えた。
それはまるで、応えてくれるように。
◆ 次回予告:第8話「記憶の海に潜る者」
次の目的地は、記憶を封じたレリックが沈む海底都市《アムニシア》。
そこに待つのは、過去に囚われた者たちと、カイ自身の“ある記憶”だった。
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