イーリムの港町には、独特の潮の香りが漂っていた。
それは、南方の深海で育つ“ミスリル貝”が水揚げされるこの時期特有のもので、カイにとっては初めての匂いだった。
だが、どれだけ景色が鮮やかでも、心は晴れない。
「兄の記憶を運ぶ」という初任務は、思ったよりもずっと重かった。
◆ 第一節:初めての依頼
カイはレリックランナー協会のイーリム支部へ足を運んだ。
そこは海風を避けるように建てられた小さな石造りの建物で、壁には古びた地図と、数多のレリックの設計図が貼られている。
受付にいたのは、金髪の青年だった。口には煙管、片目にモノクル。
書類を片手にカイを見ると、ニヤリと笑った。
「おや、キミが新人くんか。ようこそ、現場へ」
「初めての届け物を運び終えました。次の任務を——」
「ふむふむ。そりゃ勤勉でよろしい。でも、急ぐことはないよ」
彼は名前をヴァルド・レイモンドと言った。
元は首都のランナーだったが、何らかの理由でこの地方支部へ左遷されたらしい。
「ま、ちょうどいい。これを手伝ってくれ」
ヴァルドが差し出したのは、町の掲示板から切り取られた一枚の紙だった。
【緊急依頼】 港区第5倉庫にて、未登録のレリック活動反応あり。調査求む。
「近頃、こういう“野良レリック”が増えててね。
おそらく持ち主が亡くなったか、価値観の変化で制御が失われたんだろう。ほら、レリックは持ち主の“価値”と共鳴するからさ」
「つまり、価値が変わると……」
「暴走するんだよ。だから“価値の測り方”ってのは、俺たちにとって命より大事なんだ」
◆ 第二節:暴走レリック《ヘヴィブレス》
第5倉庫。
海風に打たれて錆びた鉄扉を開けた瞬間、空気がぐっと重くなった。
「うっ……な、なんだこれ……!」
空気が鉛のように重い。
歩こうにも足が沈むように感じるのは、レリックの力が発動している証拠だ。
「これが……暴走レリックの力か……!」
倉庫の奥。そこには金属の仮面が置かれていた。
目の部分が赤く光り、周囲の空気を“重力”で圧迫している。
《ヘヴィブレス》——重さを操る仮面型レリック。
本来は「責任の重みを可視化する」ための記録具だったが、今はただ圧し潰すだけの凶器と化していた。
「……誰かが、“責任”の意味を失ったんだ」
カイは、かつて兄が話していた言葉を思い出す。
「レリックってのはな、意味が消えたときが一番危ねぇんだよ。
運ぶ価値が分からなくなった瞬間、ただの“呪い”になる」
足元に崩れ落ちるように倒れた青年がいた。
漁師の息子らしい。近くで遊んでいて、巻き込まれたのだ。
仮面が彼の心に共鳴していた——
「僕の責任だ……父さんの網を壊したのは、僕のせいだ……!」
《ヘヴィブレス》は、その言葉に反応し、さらに重圧を強めていく。
「くそっ……このままじゃ……!」
◆ 第三節:リューカの介入
そのとき、倉庫の扉が弾け飛んだ。
「下がって!」
リューカ・モーラだった。
手には《カリオンコード》が展開され、無数の神経状の光が空中に浮かぶ。
「その子の“価値観”が崩れてる。ここで無理に引き剥がすと、逆に精神が壊れる!」
「でも、何か方法は——!」
「レリックの価値を“書き換える”。
それができるのは、今この場で“何を信じるか”を選べる者だけ」
彼女はカイを見た。
「あなたが、決めなさい」
カイは膝をつき、少年に語りかけた。
「君は……何かを壊したかもしれない。でも、それを直すこともできる。
責任ってのは“重さ”じゃない。“向き合うこと”だ!」
その瞬間、レリックの目がかすかに青く光り——
圧迫感がふっと消えた。
仮面は、静かに落ちる。
《ヘヴィブレス》は、少年の中で「償いの重み」から「歩き出す覚悟」へと価値を書き換えられたのだ。
◆ 終章:カイの答え
「価値の測り方は、“正しさ”じゃない。
信じた“重さ”を、誰かに届けることなんだ——きっと、兄貴はそれを伝えたかったんだ」
リューカは静かに頷いた。
「あなたには、まだその答えが分かっていない。でも、だからこそ運べる」
ふたりは港の夜風に吹かれながら、次の目的地の話を始めた。
その背後。
塔のようにそびえる建物の天辺に、黒衣の男が立っていた。
「ひとつ、価値が変わったか……」
彼の眼には、無数の“思想塔”の幻影が浮かんでいた。
◆ 次回予告:第3話「忘却の塔」
“思想塔”のひとつが開かれる。
価値の原点を巡る攻防が、いま幕を開ける。
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