「俺は……愛されたいんじゃなくて、理解されたいんだと思う」
それは、中学時代の独り言だった。
家族の誰もが互いに干渉せず、ただ隣り合っているだけの家。
勉強さえしていれば問題はない。逆に言えば、成績以外に価値はなかった。
喜びも、怒りも、痛みも、誰かと分かち合った記憶がない。
「頑張った」と言えば、「次も頑張れ」と返ってきた。
遼が何を考え、何に傷つき、何を感じているのか、誰も聞こうとはしなかった。
その寂しさを、彼は“普通”だと思って育った。
けれど心のどこかでは、ずっと何かを欲していた。
——自分を、丸ごと、見てくれる人間。
「俺は、ただ……誰かに、自分という存在を全部渡したかったんだ」
ベッドの上、空になった天井を見上げながら、遼は初めてその言葉を呟いた。
その“告白”が、遅すぎたことを理解していても。
—
彼がこれまで“好きだ”と思っていた女たちは、
それぞれの役割を担う“鏡”だった。
理沙は「安心」の投影。
真帆は「憧れ」の投影。
奈々は「癒し」の投影。
そして恵美は、「理想」の投影。
遼は、人を好きになっていたのではない。
自分の孤独を映してくれる“都合のいい顔”に向かって、愛していると錯覚していただけだった。
—
その夜、夢を見た。
灰色の部屋の中、無数の鏡が並んでいた。
どの鏡にも、自分の姿が映っている。
だが、一枚だけ——恵美の顔が映っていた。
その恵美は、微笑んでいた。
「ねえ、遼くん。それでも、あなたは“誰か”を愛せるの?」
鏡を割ろうとしたが、手は動かない。
声も出ない。
遼はただ、映った自分を見つめていた。
やがて、その映像は静かにひび割れていき、
砕ける寸前、最後に聞こえたのは——
「……あなたが好きだったのは、ずっと、“自分”だけだったんじゃない?」
—
遼は目を覚ました。
汗で濡れたシャツ。
部屋の空気が異様に重い。
まるで心臓が、身体の中で迷子になっているようだった。
—
その日、遼のもとに警察が訪れた。
任意同行。
抵抗はしなかった。
遼はもう、分かっていた。
逃げる場所など、最初からなかったのだと。
—
取調室で刑事に問われた。
「なぜ、そんなことをした?」
遼は言った。
「“好き”が分からなかったんです」
「だから、自分の“好きだった人”を、全部消せば、本物が残ると思った」
刑事は沈黙した。
沈黙は、答えにならなかった。
だが、遼にとっては十分だった。
—
恵美は証言を拒まなかった。
冷静だった。感情的にもならなかった。
ただひとつだけ、遼に手紙を書いた。
「私はあなたのことを“知っていた”わけじゃない。
でも、“理解しようとした”ことは、本当です。」
遼はそれを、数え切れないほど読み返した。
涙は出なかった。
ただ、心のどこかで何かがほどけていくのを感じていた。
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