奈々とは、マッチングアプリで出会った。
プロフィールには、「映画が好きです」「旅行が好きです」「お酒も大丈夫です」といったテンプレートのような自己紹介。
けれど遼は、彼女の笑顔の写真に惹かれた。正確に言えば、その「作られた感じのない表情」に惹かれたのかもしれない。
初めて会った夜、遼は奈々とホテルに入った。
互いに多くを語らなかった。
酒が入っていたせいもあるが、理由はそれだけじゃない。
二人とも、言葉よりも身体に意味を持たせようとしていた。
遼はその夜、胸の奥で小さな期待を抱いていた。
——これが、好き、かもしれない。
触れた肌。重なった呼吸。
奈々の指が遼の背を撫でるとき、まるで世界に自分しかいないような錯覚があった。
だが、翌朝。
奈々はあっけらかんとした笑顔で言った。
「今日も仕事? そっかー、頑張ってね」
そして、何事もなかったように手を振って別れた。
それが彼女の自然体なのだと分かってはいた。
けれど、遼は戸惑った。
自分だけが一夜を「意味あるもの」にしようとしていたことを、思い知らされた。
その後も何度か会った。
セックスは軽やかで、会話は浅く、感情の深みには一切踏み込まない。
遼は、嫉妬していた。
奈々のその「何も期待しない強さ」に。
何も求めずに、ただその場を楽しめることに。
彼は奈々に惹かれていた。
でもそれは「彼女そのもの」ではない。
その“自由さ”に憧れていただけだった。
ある夜、遼はいつものように奈々とホテルの一室にいた。
「ねえ、奈々。……俺のこと、好き?」
遼がそう訊いたとき、奈々は一瞬黙った。
「うーん……“好き”って何だろうね? でも、一緒にいて楽だよ。悪くない」
それは奈々なりの誠実な答えだった。
だが遼にとっては、それが“死刑宣告”のように響いた。
彼女は遼を“誰か”として扱っていなかった。
あくまで「その場にいる存在」でしかなかった。
名前ではなく、顔でもなく、ただの「ぬくもり」としてしか。
遼は、ベッドの中で彼女の喉に手をかけた。
奈々が目を見開いたとき、ほんの少しだけ哀しそうな表情を浮かべたように見えた。
もしかすると——
遼が初めて、“期待”をぶつけてきた男だったのかもしれない。
奈々の身体が静かになったあとも、遼はしばらくその腕の中にいた。
体温が徐々に失われていくのを、黙って感じながら。
遼はまた一人、手帳に横線を引いた。
理沙、真帆、奈々。
三つの“好き”を葬ってきた。
だが、まだ終わりではない。
——最後の一人。
高校時代、何も始まらなかった、唯一の“届かなかった人”。
恵美。
彼女にだけは、決着をつけなければならない。
本当に、心の底から“好きだった”と信じていたからこそ。
だが、恵美は——
遼が考えるよりも、ずっと“先”を見ていた。
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