水は記憶を封じ込める。
人が流した涙も、語られなかった言葉も、
すべてが、静かに底へ沈んでいく。
そして、そこに眠るのは——“忘れたくない記憶”。
◆ 第一節:アムニシアへの航路
「アムニシアへ行く?」
ヴァルド支部長は、いつになく真剣な顔で尋ねてきた。
「海底都市アムニシア。ゼロ・アーク時代、記録を封じるために沈められた街だ。
そこにあるのは、“消された記憶”だと言われてる」
「そこに……兄貴のレリックがある可能性があるんだ」
カイはそう言った。
前話で得た《メモリエッジ》に微かに刻まれていた座標、それがアムニシア海域を指していたのだ。
「この街には、“記憶を抜かれた者たち”が住んでいるわ」
リューカが静かに言った。
「誰もが過去を忘れている。
でも、それでも“価値”を求めて、生きている」
「忘れても、価値を持てるってことか……」
「あるいは——忘れたから、自由になれたのかもしれない」
◆ 第二節:沈んだ街と、記憶の迷宮
カイとリューカは、気密潜航艇で海底へと潜った。
アムニシアは静かだった。
崩れた建造物、漂う光の粒、歩く人々は皆どこか夢の中にいるようだった。
街の中央にある「記憶の泉」。
そこに手をかざすと、空中に映像が浮かび上がった。
「——君はもう、忘れたほうが楽になれる」
「大丈夫だよ。記憶は痛みだ。でも、痛みは必要ない」
言葉をかけているのは、白衣の女。
かつてセレスティアにいた「調律士」たちだ。
「これが……“記憶の調律”」
リューカが顔を曇らせる。
「彼らは、人々の記憶を抜き取ることで、価値の“ブレ”を抑えようとしたの。
痛みも、怒りも、希望も——全部“整える”ために」
「それで、本当に平和になったのかよ……?」
カイは拳を握る。
そのとき。
泉の奥から、何かが反応した。
《声の欠片》が、強く震えた。
「——カイ」
声が、確かに聞こえた。
「これ、兄貴の……!」
◆ 第三節:忘れたはずの記憶
泉の水が反転し、巨大な記録装置が浮上した。
レリック《ノウメン・コア》——人間の記憶を“形”にして封印する装置。
そこには、一人の少年の記憶が閉じ込められていた。
小さなカイ。
焦る顔。
炎に包まれる実家。
兄ジンが何かを手に走り去る姿。
そして——
「……カイ、お前はこの“記憶”を忘れたほうがいい。
この炎の原因を知れば、お前は前に進めなくなる——」
カイの顔が歪んだ。
「やめろ……そんなの、見たくない!」
「これは、君自身の“封じた記憶”よ」
リューカが静かに言った。
「兄が、君のために記憶を封じたの。
でも今、それが開かれようとしている。
君が“声”を通して、選ぼうとしているから」
「選ぶ……?」
「“忘れる”か、“背負う”かよ。どちらかを、あなたが決めるの」
カイは拳を震わせた。
兄の声が、微かに聞こえる。
「進め、カイ。お前は、もう選べる」
「……俺は、背負うよ」
カイが《声の欠片》を泉にかざすと、記憶が光に変わり、静かに彼の中に溶けていった。
◆ 終章:記憶を持つ者、持たぬ者
その夜、アムニシアの宿で。
「俺……本当は、自分が家を燃やしたかもしれないって、薄々気づいてたんだ」
「そう」
「でも、兄貴はそれを責めなかった。
“選んだ道を守るために、過去は背負えばいい”って、そういう人だった」
リューカはしばらく黙ってから言った。
「なら、あなたも選んだのね。
“忘れない”っていう価値を」
「うん。俺はもう、自分の声を疑わない」
空には、波間に映る星が揺れていた。
その中で、ひときわ明るい——十三番目の星が、光を強めていた。
◆ 次回予告:第9話「凍結された思想」
次なる舞台は極寒の地・ノルディカ。
そこに封印されし思想塔は、“ある一つの価値観”を巡り、過去のランナーたちの記録を今も凍結し続けている。
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