彼らは何を運び、どこへ向かったのか。
“帰らざるランナー”と呼ばれる者たちは、記録にも記憶にも残らない。
だが、確かにそこに“価値”があった。
声なきままに消えた意思が、今、風に揺れている。
◆ 第一節:霧の海路
その島は、海図にも記されていなかった。
《帰らざる島(ノーサイド)》と呼ばれる、霧に包まれた孤島。
「兄貴が、最後に残した航路ログがここを指してたんだ」
そう言ってカイは、修復した兄ジンの端末をリューカに見せた。
ログの最後には、明らかに“通信遮断”と“記録停止”があった。
「ここで……何があったのか、確かめたい」
霧の中を進む船上で、リューカは黙って頷いた。
「霧が濃い。記録の霧に近い反応……でも少し違う。これは、“価値を拒む霧”よ」
「拒む……?」
「この島は、“運び手”そのものを拒絶する。
つまり——“価値を運ぶ行為”が、ここでは通用しないの」
◆ 第二節:島と沈黙の痕跡
小舟で上陸した二人を出迎えたのは、鳥の声すらしない異様な静寂だった。
樹々は生い茂り、道はなく、空は灰色。
だが、足元には確かに“人の痕跡”があった。
風化した足跡。
崩れた木製の掲示板。
そして、苔むした石碑に刻まれた文字。
【記録を拒んだ者は、ここにいる】
リューカが冷たい指先で文字をなぞった。
「ここは……“レリックを持たないランナー”たちの最期の地。
セレスティアに背き、“自分だけの価値”を守ろうとした者たち」
カイは小さく息を呑んだ。
「……兄貴も、ここに来たんだよな」
「ええ。でも、ジンのログではこの島の記録は“存在しない”ことになってる。
つまり——誰かが意図的に、“記録を消した”」
◆ 第三節:無音の記録
島の中心、朽ちかけた教会のような建物。
中に入ると、壁一面に紙が貼られていた。
誰かの言葉。
走り書きの文字。
風に破れかけた筆跡。
「俺は間違ってたのか」
「届けられなかった。それでも……運びたかった」
「“声”を持つことは、罰だったのか?」
その中に、ひときわ新しい紙があった。
【カイへ】
【お前がこれを読んでるなら、俺はもう“記録の外”にいる】
【セレスティアは塔の記録だけでなく、“人の存在”すら書き換えようとしている】
【だから俺は、“記録に残らない場所”を選んだ】
【ここで、声を届けられなかった人たちと、“最後のレリック”を守っている】
【だけど、俺にはもう運べない】
【お前が、運んでくれ——“誰にも届けられなかった価値”を】
震える手で、その紙を剥がし、胸にしまうカイ。
「兄貴は……最後まで、“声”を運ぼうとしてたんだな」
「ええ。でもそれが届くには、“今のカイ”じゃ足りない。
この島の霧が、それを証明してる」
◆ 第四節:忘れられたレリック
教会の奥。祭壇に、ひとつのレリックが置かれていた。
それは、真珠のような球体で、何の力も感じない。
リューカが解説する。
「これは……《オルフェス・グレイン》。
“言語化されなかった価値”を封じ込めたレリック。
誰かが死の間際に語れなかった思いを、“未定義のまま”保存している」
カイがそっと触れると、球体の中に微かに——
「……たすけ……」
「……わた……しは……ま……ちがって……」
断片的な、“声にならなかった価値”が響いた。
「これが、兄貴が守ってた最後のレリック……?」
「いいえ。これはただの“鍵”よ。
真にジンが守っていたレリックは——おそらく、“君自身”」
「……!」
その瞬間、霧が動いた。
風が吹き、島の空が一瞬だけ晴れた。
《声の欠片》が、静かに共鳴を始めた。
共鳴発動:フォノスフレイク 第四形態 開示
《反響の境界(ボーダー・エコー)》——記録されなかった“想い”を、現実に残響させる
空間が震え、教会の壁に“見えない声”が刻まれていく。
「ありがとう……カイ。
お前が、俺の代わりに——“運んで”くれるって、信じてた」
それは、確かに兄ジンの最後の“声”だった。
◆ 終章:運び続ける者として
霧が晴れ、船に戻る道が現れた。
レリック《オルフェス・グレイン》を手に、カイは言った。
「このレリックの中身は、まだ“言葉になってない価値”なんだろ?」
「ええ。誰かが、“声”にするのを待ってる」
「なら、俺が届ける。言葉にできなかった想いごと、全部」
リューカは、わずかに微笑んだ。
「そう。君は、“言葉にできないもの”すら運べる——
“帰らざるランナー”じゃない。まだ、進める人間よ」
空には、霧を抜けて見える十三番目の星が、少しずつ近づいていた。
◆ 次回予告:第12話「塔を喰らう者」
突如現れる、塔そのものを“喰らう”存在。
レリックの力を食らい、価値を空白にする“侵蝕者”が、世界の均衡を壊し始める——!
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