神崎遼は、取り調べ中に突然、供述を拒否するようになった。
最初はよく喋った。
犯行の動機も手順も、異常なまでに詳細に語った。
だが、三人の女性について語り終えると、最後の恵美に関する問いにだけ、口を閉ざした。
「彼女については話さない」
それだけを言って、視線を落とした。
—
警察の中でも意見が割れた。
「すでに彼の中で恵美は特別な存在になっている」と見る者と、
「恵美の証言が致命傷になるから黙っているだけ」と推測する者。
だが一人、恵美だけは確信していた。
——彼は、まだ終わっていない。
——まだ“愛の定義”を自分の手で決着させようとしている。
—
「会わせてください。彼と、もう一度だけ」
恵美がそう言ったとき、刑事たちは顔を見合わせた。
「危険です。あなたが何を伝えようとしているかはわかる。ですが、彼は——」
「大丈夫です」
恵美は言った。
「私は彼に殺されるために行くわけじゃありません。……“終わらせる”ために行くんです」
—
特例として面会が許可された。
刑務所の監視室。
小さなテーブルの向かいに、遼は座っていた。
恵美を見るなり、彼は目を細めた。
その表情は、懐かしさでも後悔でもない。——“確認”の顔だった。
「来てくれたんですね」
「ええ」
「あなたは、僕の物語の“最後の登場人物”なんです」
—
沈黙が一拍置いた後、恵美は言った。
「あなたは、人を愛せなかったんじゃない。——人の中に映る自分を、愛してたのよ」
遼はわずかに笑った。
「それが、“うぬぼれ”ってやつですか」
「そう。あなたの人生は、自惚れの連続。
でもそれを悪いとは言わない。人は皆、そういう側面を持ってる。
けどあなたは——自分の“好き”を証明するために、人を殺した」
遼は顔を上げ、恵美の目を見た。
「だから、最後に確かめたい。……あなたは、僕の中で、唯一“好きだったかもしれない人”だから」
—
恵美は、バッグから一冊のノートを取り出した。
遼が事件前に記していた手帳だった。
警察が押収したものを、一時的に返却されたものだ。
「この中に書かれてるのは、あなただけの正義。でも、それは“誰にも届かない言葉”よ。
自分のためだけに書かれた愛は、誰かと共有されない限り、“愛”にはならない」
遼は黙った。
そして、ノートの最後のページをめくった。
白紙だった。
—
「ここに、あなたが本当に“愛したかったもの”を書いて」
恵美は立ち上がり、テーブルの上にボールペンを置いた。
「それが、あなたの終わりの章よ。……あなた自身が決めなさい」
—
その夜、遼は独房でノートを開いた。
空白のページに、ゆっくりとペンを走らせる。
文字は震え、滲み、歪んでいく。
俺の物語が小説だとするならば——
きっとこんな題になるだろう。
『自惚れ』
—
その翌朝、遼は自ら命を絶った。
彼の遺体は安らかだった。
目を閉じ、微笑んでいるような表情。
それは、まるでようやく“本当の自分”に出会えた者の顔だった。
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